kurutakunの日記

ミトコンドリア病闘病中と小さな山

補聴器

かねてから、聞こえないのはわかってた。

感音難聴。

小さな音が、声が聴覚から拾えない。


初めて、詳しい検査をうけた。

聴覚検査は、超音波を流し入れ聞こえの検査をする。
それは通常行われていた。

加えて、機械から発す母音をどれだけ聞き取れるのか。

なにが、どう違うかすらわかんない。

先生の言葉さえ、聞き取れないで
いつもいつも裕ちゃんに聞いてもらってた。

こんなんで

こんなんで、私どうなるんだろう。

初めて、話せた友だちと呼んだ

いつか、手を離さなければいけないと知りながら。

そういうこともあるんだよね。

ならば、

手話はね…自分がわかっても相手に通じないと。

だけどね。

できないことなら数知れずある。

出来ること。

ひとつあればそれでいいでしょうか。

弱くなっちまうときがあるんだよね。

さようなら。

と言ってしまいたくなる。

でも。

また、朝はくる。例えば音を失っても。

敗けたくないよね。

転げ落ちても、また少しだけ立ち上がりたい。

まだ


きっと


大丈夫。

補聴器は使うと自身の機能を失い兼ねない。

答えは欲しくなかった。

いえば、抵抗感のが強かったけど、仕方ない
こともあるんだよね。